CMソングの提唱者?! ‘いざ吉原へ’ |
| 亀屋もぐさ六代目 |
七兵衛氏幸(一八一五〜一八五〇) |
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| 多量のもぐさを積み江戸に行商沿道もぐさを売り江都に達するの日、 |
| すでに若干の利を得たり。即ち吉原の遊里に遊ぶ。沿道を得る処の利益を散し、 |
| 時々豪遊をなし妓輩を風靡せし |
| 一日妓輩に謂って曰く |
| 『予は近州伊吹山山麓柏原宿のもぐさやなり、その獲る所の利を以って汝等に散す。 |
| 汝等我が為に蕩すの心無き哉。』 |
| 舞輩曰く |
| 『敢えて妾等にして為し得るのことならむ。』 |
| 之に応えんと君曰く |
| 『良く然らば汝等に告げん、我に宿志あり。伊吹もぐさを広く世人に知らしめんとす。 |
| 汝等今より他の遊ある毎に、酒歌菅紘の間、伊吹もぐさの一事を加え歌ふ可』と。 |
| その俗歌に曰く |
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| 妓輩欣諾す。 |
| 『飄客ある毎、必ず斬く歌うべし』と。 |
| <以上、山根胤之氏:伊吹艾(もぐさ)史より> |
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| 江戸文化がその絶頂を迎える頃、 |
| 近江商人七兵衛は‘伊吹もぐさを天下にしらしめん’との思いを抱き同郷の呉服問屋白木屋を頼りに、 |
| 江戸行商の旅へとむかいます。天秤棒を片手に中山道を駆け巡り、江戸の町を駆け回る日々が続いた |
| 事でしょう。次第に努力が報われて伊吹もぐさの名前は、ゆっくりとですが、町々へと浸透して七兵衛の |
| 手元にも徐々にお金が集まり始めます。大切に蓄えたこのお金を、どのように使えばよいのか? |
| ある閃きが七兵衛の脳裏に走ります。その日以来、七兵衛は蓄えたお金を持ち出し、連日連夜のように |
| 吉原へと通います。(時に七日七晩、七兵衛放蕩す。との記載が伊吹艾史には見受けられます。) |
| その豪遊振りからすっかり有名になった七兵衛は、吉原の人達に一つのお願いをします。 |
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| この唄を吉原に来る全てのお客様に歌い聞かせてください。宴の時に語ってください。と吉原の人達に |
| 頼み、承諾してもらいます。すると、江戸中に伊吹もぐさの名前が広がっていきました。当時の吉原は、 |
| 町人から大名まで集う、華やかな江戸文化を象徴する街としてその成熟期を迎えています。この街で |
| 伊吹もぐさの宣伝をすれば通常以上の効果が得られると考え、誰にでも口ずさむ事の出来る簡単な唄を |
| 使ったこの妙案こそ、まさに、CMソングの先駆けといえるのではないでしょうか。 |
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亀屋もぐさ(お灸) / もぐさ屋七兵衛
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