もぐさ屋が工場見学を??

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お灸の故郷、伊吹もぐさ亀屋佐京商店工場見学

伊吹山の麓、中山道の街道沿いに江戸期から変わらぬ風景で皆様をお出迎え。五感をフルに働かせる工場見学をお楽しみください。

伊吹もぐさ工場見学趣旨

「伊吹もぐさの製造に関する講演」を行い思うことが有ります。講演では「もぐさ造り」の各々の工程から生産できる商品サンプルをビニール袋に入れ持参し聴講頂く生徒(学生)の皆様にお見せしたり、作業工程の臨場感を出来る限りお伝えできるようにパワーポイントには写真以外に動画も取り入れてお話をしているのですが、どうにも我々のの拙い説明では全てを伝えきることが出来ず、何とかお伝え出来ないモノだろうかと思案いたしましたが、やはりここはもぐさの製造現場を実際にご覧頂く、『お灸の故郷、伊吹もぐさ亀屋佐京商店工場見学』に限るという結論に達しました。原料のヨモギから一番精製度合いの高い点灸用もぐさの完成品までを原料順にまた工程順に見て、触れて、嗅いで感じて頂く。未完成品として市場に決して出回らない原料を五感で感じて頂く。精製工程の段階で削がれてしまう欠落原料(=不純物)はお金を払っても手にする事の出来ない商材です。実際に工場見学で弊社を訪れた方とそうではない方との一番大きな差はこの不純物に触れたか触れていないかの点になります。不純物を手に取って頂く事でモグサの商品価値を改めて実感して頂ければと考えています。更に、家伝もぐさの製造に関する弊社の想いや歴史的かつ地理的な背景などもご説明申し上げています。商品として販売されているモノはその代金を支払いさえすれば必ず手に入れることは出来るのです。お金では決して手に入れる事の出来ない素晴らしい経験をを是非「亀屋もぐさ工場見学」で体験して下さい。なお工場見学のお時間は60分から90分程度必要です。全てのリクエストにお応え出来るかどうかは分かりませんが、ご興味のある学校様はお気軽にお問い合わせ下さい。担当者が工場見学に関しての詳しい説明をしにお伺いいたします。

お願い事項

  • 弊社敷地内に於いて指定されたエリア以外でのお写真等の撮影は固くお断りをしています。
  • 工場見学後に工場からの原料及び製造物の持ち出しは厳禁です。

工場見学実施先様

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

伊吹もぐさの製造に関する講演

工場見学に関するお問い合わせは下記のメールフォームからお願い致します。

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もぐさ屋が出前??

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伊吹もぐさの製造に関する講演

学校の授業やテキストなどでは語られる事のない現場の声をお届けします!!

伊吹もぐさの製造に関する講演の趣旨

東洋医学が伝統や伝承の医学と言われるように、鍼灸治療で使用するモグサの製造に関しても伝統や伝承また経験という言葉で多くが語られます。確かにモグサ作りには職人気質という表現がピタリとくるシーンもあります。ただ気難しい職人さんばかりが働いている職場ではありませんし、産業技術の進歩に伴いやはりモグサ作りも日々進歩しようと頑張っています。ここ数年、私達は鍼灸学校様等へお伺いし『より品質の優れたもぐさをより効率的に作るには』というテーマでモグサ作りの講演活動を行っています。江戸期よりモグサの製造販売業に携わっている者として「近年のモグサ作りの状況はどうなっているのか?」「今、何故モグサ作りの出張講演なのか?」「自分に相応しいモグサの選び方。」など普段の学校の授業では触れられることのないテーマを語ります。勿論モグサ作りの神秘的な技術解説と同時にモグサ作りが抱える問題点などもお話しています。また老舗ならではのこぼれ話や歴史の裏に隠された業界のミステリーなども織り交ぜ展開します。講演時間は「モグサ作り」の解説に60分から70分、解説を基に実際に「モグサ作り」のワークショップを20分から30分のタイムスケジュールで行います。昨年度よりはプレ講演のサービスも開始しています。講演内容の全貌が掴めず戸惑いを感じている学校様に通常の講演と全く同じ内容の講演を一度のみ提供しています。この機会を利用して今後の授業枠に活用出来るか否かを確認してから講演の導入を検討いただく事が可能です。何れのプランもご興味のある学校様はお気軽にお問い合わせ下さい。担当者が出張講演に関しての詳しい説明をしにお伺いいたします。

出張講演先様

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2008年

  • 第36回日本伝統鍼灸学会学術大会

もぐさ屋のあれこれ話

  • coming soon

お灸の故郷、伊吹もぐさ亀屋佐京商店工場見学

出張講演に関するお問い合わせは下記のメールフォームからお願い致します。

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篩とモグサ

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もぐさは「篩」なのか?

ご無沙汰しています(※注1)。サボっていた訳ではないのですが….。
この一ヶ月間は修行僧の如く過ごしておりました。既にもぐさ蔵の件でご案内致しましたが弊社の場合、精製度の高い‘もぐさ’(※注2)は製造してから数年間はもぐさ蔵で保存します。でもその間には‘もぐさ’の成熟度を確認する為に‘もぐさ’の出来栄えと掃除を兼ねた作業を行う必要があります。江戸時代後期から続く伝統作業と言えば重厚な感じにはなるのでしょうが、‘もぐさ’を少量篩に取って不純物が混じっていないか‘もぐさ’に「シノ」はないか、「サイ」はどうかなど細部にわたるチェックを行いつつひたすらシェイク&シェイク。腕も脚も腰もパンパンです。
『最後は人の目で』先人の知恵にも少しだけ反駁です。(笑)

江戸時代後期から続く伝統作業とは?

江戸時代、中山道柏原宿には「亀屋」と名の付く屋号のもぐさ屋は十数件あったと伝わっています。この時代「伊吹もぐさ」の言葉は広く庶民の間にも広まっており、中山道を行き来する多くの旅人がこの柏原宿で家族やご近所さんのお土産にまたまだまだ続く歩き旅のお供の品としてもぐさを買い求めた姿はもはや旅の風情であったかのような気がします。どの店に入っても「亀屋」。どこで‘もぐさ’を買っても「亀屋」。「良いモグサを持ってるね、何処で買ったの?」-「亀屋」。「なんだよ、熱いだけのモグサじゃないか、何処のモグサだ?」-「亀屋」。などという会話が交わされていたのかもしれません。楽しみにしてお立ち寄り頂き、折角お客様にお買い求めて頂いたもぐさ。インターネットを介してのSNSなどは流石に無くても、全国行脚の旅人たちの口コミによる真のSNSはどうなのよ?と当時の亀屋の主人が一堂に会し話しを行うこと十数回(※注3)。「良くても亀屋、悪くても亀屋。より良い品質のもぐさはどうして作ればばよいのか?お客様の信頼を得るにはどうすれば良いのか?」で導き出した答えが『もぐさを篩に置いてのシェイク&シェイク』。品質の良し悪しを最後は人の目で確認する作業、この作業を十数軒全ての亀屋に義務付けたのでした。「何処の亀屋で買っても、同じ品質のもぐさを提供させて頂く」。近江商人の知恵と工夫の一端が垣間見られる気がします。

伊吹もぐさと亀屋

今でこそ地域ブランドという言葉も一般化してきていますが、江戸時代末期に地域名と商品が結びついたブランドネームを意識したことは大変に貴重な存在だったのかもしれません。今となっては弊社一軒だけが中山道柏原宿でもぐさの商いを行っていますが。それでもなお今も受け継ぐ篩作業。伊吹山の麓でもぐさを作ることは勿論ですが、「中山道柏原宿で商う」この事こそが伊吹もぐさの所以なのではないでしょうか。あの日この場所中山道柏原宿で旦那衆が話し合った『最後は人の目で』の気持ちが正に「伊吹もぐさ」のブランドに相応しいと自負しております。また『街道をゆく-近江道散歩』の一文節で司馬遼太郎氏は中山道柏原宿の様子を以下のように紹介しています。

江戸期に、この山中の宿場で、街道に面してもぐさ屋が十数軒もあり、明治後は一軒きりになってしまったが、江戸期はどの店も繁盛していた。中山道を往来する旅人は、伊吹山の南麓の柏原宿場に入ると、たいていはもぐさを買う。とくに参勤交代のための大名行列がこの宿場にとまったりすると、ひとびとはあらそって江戸や国もとのみやげに袋入りのもぐさを買った。おもしろいことに、どのもぐさ屋も「亀屋」という屋号を名乗っていた。鶴は千年、亀は万年という。その亀のイメージで薬効を象徴させていたのである。おかしさは、おそろいで「亀屋」だったということで、このことは近江商人がたがいに足をひっぱりあわないという気風とかかわりがあるとみてよい。

(※注1)
2012年10月31日-お灸の故郷、伊吹もぐさ亀屋佐京商店facebookの記事を追記・編集しました。
(※注2)
学校様への出張講演活動を通して気が付いたことの一つに「粗悪もぐさ」という表現があるという事です。私が講演を行った全ての学校で使用されている表現で温灸用のもぐさを指している模様です。また「粗悪もぐさ」とテキストにも記載されています。もぐさは必ずヨモギを使いもぐさを製造する訳ですから、もぐさ屋の立場からお願い出来るとするならば、「精製度の高いもぐさ」とか「精製度の低いもぐさ」or「それほど精製されていないもぐさ」と言っていただけると非常に有難いです。確かに最高級品位のもぐさを製造する際に使用するヨモギで「精製度の低いもぐさ」を製造販売することは皆無ですが、温灸もぐさも決して粗悪な商品では御座いませんし粗悪な原料を使用する訳でも御座いません。例によって例の如く何方かを責めようとか誰かを非難するつもりは毛頭御座いません。ご留意ください。
(※注3)
話の流れでの言葉遊びです。真偽の程は調査中。

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散もぐさと切りもぐさ

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もぐさは「散」なのか?

写真(ページ一番下)は「(高級)小袋もぐさ」(左)と「切りもぐさ」(右)。2つの商品は共に江戸期には既に販売されている記録が残っています。
「(高級)小袋もぐさ」はもぐさを袋に入れ薄く伸ばした商品です。弊社では昔、昔その昔から「バラモグサ」と呼んでいます。一方、「切りもぐさ」はもぐさを紙に巻き400粒の粒状のもぐさに成形し、1粒を1回分のお灸として使用する商材になります。「キリモグサ」のネーミングで販売をしています。「切りもぐさ」は何処でも誰でも「キリモグサ」と呼んでいる模様です。
ここで疑問に思う事?「(高級)小袋もぐさ」を「バラモグサ」と呼んでいる私共に対し鍼灸学校様などで使うテキストには「散艾」と書かれており、「チリモグサ」「チラシモグサ」「サンモグサ」などと教えておられます。一つの商材に対し私が聞いただけでも3つもの呼称が存在しています。これは「散艾」の語句にはルビが降られておらず多様な呼び方が出来たと考えられます。
ここからは全くの私見です。何方かを責めようとか誰かを非難するつもりは毛頭御座いません。ご留意ください。
私の推測では

教科書の編纂時期(初版時)に編集者側からもぐさ屋に対して商品の呼称等に対するヒヤリングが行われもぐさ屋も回答書を提出した。その際にルビを降らず当たり前のように「散艾」や「切り艾」などと書き提出したのではないでしょうか。受け取った側もそれ程大きな迷いもなくそのまま「散艾」や「切り艾」と編集しテキストに記載した。

それでは何故弊社が「散艾」をバラモグサと二百年以上の長きに渡り読んでいるのか。この【散】という文字、「お金を散蒔く」と書くと【バラ】と読めるのではないでしょうか。これが弊社の「バラモグサ」の呼び方であり、袋に入れてある状態のもぐさを一枚一枚バラバラにして中山道柏原宿を訪れる旅人に販売したことが語源だと思われます。それでは【散】ではない状態のもぐさは古来から何と呼んでいるのか?

それは【俵(ヒョウ)】もぐさです。

【俵】という文字を見て皆様は何を頭の中で想像されますか?様々な形が思い浮かぶかとは思いますが、一俵、二俵と文字を付け加えてみると如何でしょうか?薄っすらですが米俵なんかが頭の中に浮かんできませんか。もぐさ作りとお米作りでは言葉や道具などでリンクする部分が多く見受けられます。江戸時代の農業特に稲作は江戸幕府の基幹産業であったため米作りの出来栄えに幕府財政が左右される程でした。基幹産業に先進的な技術や知識また資本が大いに活かされる事実は現代でも江戸時代でも同じであり、その技術や知識を使えとばかりに他の産業延いてはもぐさ作りにも応用されたことは至極当然のように思われます。もぐさの原料であるヨモギの多くを農家の方々が収穫されていたことも情報の共有を容易たらしめた要因であると考えます。(※注1)実際に米作り用の唐箕が開発され多くの農家で利用されたと推測される年代以降にもぐさの生産量が徐々に増大し凡そ100年後に木曽海街道六拾九次之内柏原の版画絵の中で歌川広重が亀屋もぐさの店頭風景を描いた事は非常に興味深い事柄です。(※注2)さらに需要の増大に供給が追い付き江戸や大坂という一大消費地に米俵の荷姿でもぐさが送られていたとしても何ら不思議はありません。(※注3)つい十年ほど前、愛媛県のとある山間の町に在る家の蔵からもぐさが俵にくるまれた状態で発見され、そのもぐさの年代を推察しに来て欲しいと依頼があり現場近くへ足を運んだことが思い出されます。

甚だ僭越ですが、

弊社と同じく江戸期からもぐさの商いをされておられる日本橋小網町にある釜屋さんの状況も書き記しておきます。「おつなちらしで こころのこまの くるってつないだ 三のいと」という都都逸に「チラシモグサ」の語源を見ておられる模様です。(この都都逸の浮世絵を見るとよく分かりますよ。) 即ち釜屋さんは【散艾】を「チラシモグサ」であると考えておられます。ただ釜屋さんにも弊社とは異なる形の商材を「バラモグサ」と呼ぶ商慣習はいまだ健在で「バラモグサ」という単語も全く意味のないもぐさ屋用語では無いような気がいたします。
小袋もぐさと切りもぐさ

(※注1)米作り用唐箕が全国的に普及する年代を和漢三才図会が刊行された1712年から1720年代前半と推測し、歌川広重が亀屋もぐさの店頭風景を描いた木曽海街道六拾九次之内柏原の版画絵の制作年代を1830年代後半(1835年-1837年)と推測しています。
(※注2)もぐさの生産量がそのピークを迎えたのがペリー来航あたりの1850年代だと記憶しています。が、如何せん不確かな記憶でもあり正確な情報をお持ちの方は是非ご教授ください。
(※注3)現在、弊社に於いてもぐさを米俵に包み出荷する作業は有りませんが、棚卸しをする際に使用する項目の一つに「俵もぐさ」という項目は存在します。

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伊吹もぐさと伊吹山

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伊吹山の恵み

伊吹山の恵みをうけて伊吹モグサが生まれました。
伊吹山はモグサの原料となるよもぎだけではなく、あらゆる薬草の宝庫として我々を支え続けています。

伊吹山の位置

能郷白山(1617m)を主峰とする美濃越前山地の稜線は、はぼ東西方向に走って岐阜県と福井県とを分け、その西端部で強く屈曲して南に張り出し伊吹山地を形成する。ふつう伊吹山地と称されるものは、滋賀・福井・岐阜の3県に跨がる三国岳(1100m)から南下して土倉岳(1002m)・金糞岳(1314m)・新穂山(1067m)・胡桃山(1183m)と続き、最南端の伊吹山(1377m)に達する一連の山地帯を包括するもので、その稜線は南北方向に走って滋賀・岐阜両県の県境を形成している。伊吹山地はその南縁部で関ヶ原峡部によっていったん途絶えるが、それより南下するとふたたび高度を増して、霊仙山(1084m)を起点として1000m級の山地となって鈴鹿山脈を形成する。伊吹山は伊吹山地の最高峰であり、同時に滋賀県内の最高峰でもある。その頂上三角点は県境から少し西に偏より、行政的には伊吹町(現:米原市)に包括され、ほぼ東経136°24′50″の位置にある。

-伊吹山を守る会発行「伊吹山の生物相とその保全」より引用-

伊吹山と薬草

延喜式「諸国進年料雑薬」
延長5年(927年)醍醐天皇の頃、延喜式50巻が完成し、その37巻には薬剤部に当たる典薬寮の諸規定があり、「諸国進年料雑薬」には貢進する薬物の種類、数量の一覧表があります。これは日本における薬草の種類と生薬の生産に関する最も古い記録といえます。各地から献上される薬草類を見ることによって、当時の薬事事情を推察することができ、また資料からは地域の植物の分布を推定できます。近江国73種、美濃国63種が記載されていて、飛騨国の9種類など他の国に比較して抜群に多い種類数となっています。この理由は薬草の宝庫でる伊吹山を共有ししているところかも知れません。

伊吹山と織田信長

伊吹山には薬草園が作られていたことはよく知られていますが、当時から伊吹山が薬草園の適地であったことと、そこには豊富な薬草が自生していたことにも,織田信長が薬草園を開かせた理由の一つと思われます。織田信長が安土城にいた永録年間に、ポルトガルの宣教師と謁見した際、宣教師が人の病を治すには薬が必要であると、そのためには薬草栽培が必要であることを進言しました。その進言を受けて信長は伊吹山に薬草園の開設を許可したのです。50ヘクタールという広大な薬草園には、西洋からもってきた薬草が3000種類も植えられていたと言われています。この薬草に関しての実録は発見されていませんが、当時からかなり経過した江戸時代初期に「南蛮荒廃記」「切支丹宗門本朝記」「切支丹根元記」などの通俗書であるが、薬草園の記事が記録されています。この俗書には歴史的な考証は困難ですが、西洋の薬草3000種と共に入ってきたと思われる雑草類が今も伊吹山のみに見いだされていることは、薬草園を設けられたことの力強い証拠になっているのです。その証拠である大切な植物こそ「キバナノレンリンソウ、イブキノエンドウ、イブキカモジクサ」なのです。

伊吹山植物の特性

伊吹山は日本の本州のほぼ中央部に位置し、全山石灰岩からなる山です。立地の関係で北方系植物の南限、南方系植物の北限、太平洋気候による暖地系植物、日本海気候の寒地・積雪型植物などの分岐点となっていて種類は多様に富んでいます。シダ植物以上の維管束植物は1300種類が分付していて、そのうち薬用植物は280種類です。伊吹山の植物は地理的、地質的、気候的な立地条件から伊吹山にのみ自生する伊吹山特産種類、北方系要素の植物、多雪型日本海要素の植物、好石灰岩植物が見られます。なおこうした立地条件から、多くの植物学者の研究で新種を発見する度に和名を付けるとき、伊吹の名前をつけているので、伊吹の名前が頭についた植物名が多いのも特色といえます。いかに伊吹山が植物研究の対象になっていたかが伺え、また人との係わりも多かったかが想像できます。伊吹山の植生は山麓からシラカシ群集、ケヤキ群落(アベマキ_コナラ群落)→ブナ林、ブナ_オオバクロモジ群集(ミズナラ群落、シロモジ群落、マユミ群落、コクサギ群落)→オオイタヤメイゲツ_ミヤマカタバミ群集→広葉草原、イブキモンツケ群落、チシマザキ群落となっています。ススキ草原は山麓から山頂部にかけて随所に見られ、山頂部にはカリヤスがススキに置き換わった草地となっています。山麓部利用はヒノキ・スギ・カラマツが植林されています。

-伊吹山薬草サミット実行委員会発行「薬草の宝庫伊吹山」より引用-

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