伊吹山の恵み

伊吹山の恵みをうけて伊吹モグサが生まれました。
伊吹山はモグサの原料となるよもぎだけではなく、あらゆる薬草の宝庫として我々を支え続けています。

伊吹山の位置

能郷白山(1617m)を主峰とする美濃越前山地の稜線は、はぼ東西方向に走って岐阜県と福井県とを分け、その西端部で強く屈曲して南に張り出し伊吹山地を形成する。ふつう伊吹山地と称されるものは、滋賀・福井・岐阜の3県に跨がる三国岳(1100m)から南下して土倉岳(1002m)・金糞岳(1314m)・新穂山(1067m)・胡桃山(1183m)と続き、最南端の伊吹山(1377m)に達する一連の山地帯を包括するもので、その稜線は南北方向に走って滋賀・岐阜両県の県境を形成している。伊吹山地はその南縁部で関ヶ原峡部によっていったん途絶えるが、それより南下するとふたたび高度を増して、霊仙山(1084m)を起点として1000m級の山地となって鈴鹿山脈を形成する。伊吹山は伊吹山地の最高峰であり、同時に滋賀県内の最高峰でもある。その頂上三角点は県境から少し西に偏より、行政的には伊吹町(現:米原市)に包括され、ほぼ東経136°24′50″の位置にある。

-伊吹山を守る会発行「伊吹山の生物相とその保全」より引用-

伊吹山と薬草

延喜式「諸国進年料雑薬」
延長5年(927)醍醐天皇の頃、延喜式50巻が完成し、その37巻には薬剤部に当たる典薬寮の諸規定があり、「諸国進年料雑薬」には貢進する薬物の種類、数量の一覧表があります。これは日本における薬草の種類と生薬の生産に関する最も古い記録といえます。各地から献上される薬草類を見ることによって、当時の薬事事情を推察することができ、また資料からは地域の植物の分布を推定できます。近江国73種、美濃国63種が記載されていて、飛騨国の9種類など他の国に比較して抜群に多い種類数となっています。この理由は薬草の宝庫でる伊吹山を共有ししているところかも知れません。

伊吹山と織田信長

伊吹山には薬草園が作られていたことはよく知られていますが、当時から伊吹山が薬草園の適地であったことと、そこには豊富な薬草が自生していたことにも,織田信長が薬草園を開かせた理由の一つと思われます。織田信長が安土城にいた永録年間に、ポルトガルの宣教師と謁見した際、宣教師が人の病を治すには薬が必要であると、そのためには薬草栽培が必要であることを進言しました。その進言を受けて信長は伊吹山に薬草園の開設を許可したのです。50ヘクタールという広大な薬草園には、西洋からもってきた薬草が3000種類も植えられていたと言われています。この薬草に関しての実録は発見されていませんが、当時からかなり経過した江戸時代初期に「南蛮荒廃記」「切支丹宗門本朝記」「切支丹根元記」などの通俗書であるが、薬草園の記事が記録されています。この俗書には歴史的な考証は困難ですが、西洋の薬草3000種と共に入ってきたと思われる雑草類が今も伊吹山のみに見いだされていることは、薬草園を設けられたことの力強い証拠になっているのです。その証拠である大切な植物こそ「キバナノレンリンソウ、イブキノエンドウ、イブキカモジクサ」なのです。

伊吹山植物の特性

伊吹山は日本の本州のほぼ中央部に位置し、全山石灰岩からなる山です。立地の関係で北方系植物の南限、南方系植物の北限、太平洋気候による暖地系植物、日本海気候の寒地・積雪型植物などの分岐点となっていて種類は多様に富んでいます。シダ植物以上の維管束植物は1300種類が分付していて、そのうち薬用植物は280種類です。伊吹山の植物は地理的、地質的、気候的な立地条件から伊吹山にのみ自生する伊吹山特産種類、北方系要素の植物、多雪型日本海要素の植物、好石灰岩植物が見られます。なおこうした立地条件から、多くの植物学者の研究で新種を発見する度に和名を付けるとき、伊吹の名前をつけているので、伊吹の名前が頭についた植物名が多いのも特色といえます。いかに伊吹山が植物研究の対象になっていたかが伺え、また人との係わりも多かったかが想像できます。伊吹山の植生は山麓からシラカシ群集、ケヤキ群落(アベマキ_コナラ群落)→ブナ林、ブナ_オオバクロモジ群集(ミズナラ群落、シロモジ群落、マユミ群落、コクサギ群落)→オオイタヤメイゲツ_ミヤマカタバミ群集→広葉草原、イブキモンツケ群落、チシマザキ群落となっています。ススキ草原は山麓から山頂部にかけて随所に見られ、山頂部にはカリヤスがススキに置き換わった草地となっています。山麓部利用はヒノキ・スギ・カラマツが植林されています。

-伊吹山薬草サミット実行委員会発行「薬草の宝庫伊吹山」より引用-

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伊吹もぐさの背景

江戸時代、中山道柏原宿には「亀屋」と名の付く屋号のもぐさ屋は十数件あったと伝わっています。この時代「伊吹もぐさ」の言葉は広く庶民の間にも広まっており、中山道を行き来する多くの旅人がこの柏原宿で家族やご近所さんのお土産にまたまだまだ続く歩き旅のお供の品として灸を買い求めた姿はもはや旅の風情であったかのような気がします。

お灸の故郷、伊吹もぐさ亀屋佐京商店図会 足三里に灸を据えて旅立つ風景が印象的

良くても亀屋、悪くても亀屋。

より良い品質のもぐさはどうして作ればばよいのか?お客様の信頼を得るにはどうすれば良いのか?そこで導き出した答えがもぐさを篩に置いてのゴミ掃除。品質の良し悪しを最後は人の目で確認する作業、この作業を十数軒全ての亀屋に義務付けたました。物凄く地味なこの作業が更なるもぐさも品質向上に寄与します。「何処の亀屋で買っても、同じ品質のもぐさを提供させて頂く」。

近江商人の心

中山道柏原宿のもぐさ屋亀屋は品質のよいお灸を作っている。人々の噂が中山道を往来する旅人たちの口から口へと広がり、やがて柏原宿はお灸の故郷へと。

  1. 伊吹山の麓、中山道柏原宿でお灸を作り商いを営む事
  2. 亀屋もぐさを贔屓にしてくださる全ての人に、叶うならこれからご愛顧頂けるかもしれない全てのお客様に品質の優れたもぐさを提供する事

2つが合わさり『伊吹もぐさ』なのです。今でこそこのコンセプトは地域ブランドや地方再生という言葉で語られることをよく耳にしますが、この精神の核になる心「売り手よし 買い手よし 世間よし」これこそが近江商人の知恵と工夫のなのです。

もぐさを篩う-2